こいつの小骨が喉に刺さって、二日目。
この日、朝から現場に入る予定だった俺は、二時間ほど早く家を出て、現場近くの耳鼻咽喉科に立ち寄った。
無論、喉の違和感に耐え切れなくなってのことであるが、地元以外の街にある病院にいくのは、どことなく不安な気持ちになるものだ。
現場から近いというだけの理由で選んだ病院であるから、その評判もきかないし、どんな医師に診られるのかもわからないのだから、それも仕方ないことといえよう。
少し構えて受付に立った俺は、警戒する気持ちを捨て切れないまま、無愛想な男性事務員に保険証を差し出した。
待つこと、十五分。
「今日は、どうしました?」
待合室に現れた初老の女性看護師に問われ、周囲に聞こえないほどの小さな声で、鰻の小骨が喉に刺さっていることを告白する。
「あらー、鰻の小骨が……。なんだか拍子抜けしちゃうわね。で、いつから?」
頼むから、もう少しだけ小さな声で話してくれないか。そんな思いのなか、努めて冷静にコトの顛末を報告する。
「伊東さん、あなたいままでに、鰻の小骨刺さったコトある?」
「はい。十年以上前の話ですけど、その時も病院に行って、簡単に抜いてもらいました」
「あら、簡単に済んだなら良かったわね。でもね、刺さっている場所が悪いと、なかなか苦戦するものなのよ」
すでに経験していたことが面白くないのか、表情を一変させた看護師が俺を脅かすように言った。
「鰻の小骨はねえ、手前にあるとすぐに取れるんだけど、奥に入っちゃっていると、なかなか取れないの。そんな時は麻酔して取るんだけど、なかなか取れなくて苦労される方も多いの。伊東さんは、大丈夫かしら?」
意地悪気に言い放つ女性看護師の顔は、明らかに嬉しそうで、俺の出方を楽しんでいるように見える。
(麻酔は注射なのだろうか?)
その質問をし忘れたことを悔いながら、不安な気持ちで待っていると、診察室から名前を呼ばれた。
老女といえる齢の医師を前に、大きく口を開けて、骨のありかを探してもらう。
「あら、手前には無いわね。もっと奥みたいだから、麻酔をしてファイバースコープで見てみましょう」
「麻酔は、どこに注射するんですか?」
恐る恐る尋ねる俺を見た医師は、嫌らしい笑みを浮かべて言った。
「喉の周囲に塗るだけよ。苦いけど、我慢してくださいね」
席を移動して、大して苦くもない麻酔を塗られた俺に、横にいる看護師がガーゼを差し出してきた。
「それを舌に巻くようにしたら、左手の親指と人差し指で自分の舌をつまんでください。治療が終わるまで我慢してくださいね」
なんとも情けない姿であるが、自分の舌を他人に触られるのは嫌だし、小骨を抜くためには仕方ない。
「舌を持った手を離さないでね。いくわよ、そう、伊東さん、上手、上手。先生、助かるわあ……」
幼児のような扱いに心の中で苦笑しつつも、吐き出したい気持ちを堪えて舌を引っ張り続ける。
探すこと数秒。
「あ、あった! 刺さってるの、ほぼ扁桃腺のあたりよ。こんな大きな骨が、どうやってこんなに奥まで来たのかしら? 」
「そんなの知るか」と言いたい気持ちを堪えてモニターを見ると、想像以上に長くて太い大きな骨が、喉の粘膜に突き刺さっていた。
「いま取れました。取った骨を確認してください。あ、あれ? 骨がない……」
どうやら、この医師も完璧なようだ。
「もう一回、見せてください」
再度、ファイバースコープを差し入れて、小骨の刺さっていた場所を確認する。
すると、小骨は除去されており、刺さっていた場所から微量の出血が見られた。
「あたし、落っことしちゃったみたい。たぶん、伊東さんのお腹の中にあると思うから大丈夫だと思うけど、なんかあったらまた来てね」
結局、取れたはずの小骨は、最後まで見つからなかった。
完璧な医師の対応には、何処か釈然としないモノを感じたが、喉の痛みから解放されたことには感謝したい。
礼を述べて、待合室で会計を待つ。
「伊東さん、今日は三千百円になります」
ご馳走になった鰻重と、ほぼ変わらない金額を治療費に費やすことになるとは……。
今日の俺も完璧だ。